地元の私立文系大学に入学する。
大学時代は、バイトやサークル、パチスロに
あけくれていました。
結果として留年してしまい、
4年半での卒業となりました。
今思うと大学での授業より
バイトで認められたり、お金を稼いで、
そのお金で自由に生活することが
とても楽しかったのだと思います。
大学3年のころには、当時の小泉首相の
「これからは、自己責任の時代だ」
に始まり、
就職氷河期の最終段階へと突入しました。
そんな状況でしたので、
大学5年目の9月卒業の私は、
就職することなく卒業しました。
東京に出ることにします。
まぁ、就職活動もろくにしては
いなかったんですけどね。
このまま、地元でアルバイトをつづけたり、
就職して働くにしても
なんだか将来が見えてしまったんです。
フリーターでアルバイトをつづけている
バイト先の先輩を見たり、
地元の同級生を見たりしていると
20代で結婚して、子供をつくり、
30歳くらいで家を買ってみたいな、
ごくごく平凡な生活が見えてしまったんです。
それが自分にとっては、純粋に
楽しくないなのと思いました。
とりあえず、この環境から抜け出したい
と思い、東京に出ることにしました。
なんの計画もなく決めました。
なので、住む家はもちろん無いので、
最初は、友達の家に転がり込みました。
漫画みたいな話ですが、
荷物はダンボール1個だけでした。
仕事の何をするかも決めずにとりあえず
上京してしまいました。
貯金があるわけでは、ないのでひとまずは、
働かなくてはいけません。
何かしたいことがあったわけではないので、
とりあえず、地元でもバイトをしていた
ゲーセンでバイトをすることにしました。
バイトをはじめたころは、目の前の生活費を
稼げればと思っていました。
そのうちに何かを始めようと思っていました。
もちろん、何かといっても何も決まって
いませんでした。
なので、バイト以外することはないので、
毎日バイトにあけくれました。
職場は、アルバイトがほとんどで
社員は少数です。
アルバイトリーダーを中心に
毎日が学園祭前夜のようなノリで
仕事をしていました。
そのうち、それがとても楽しくなってしまい。
最初は、アルバイトリーダー、
その後社員として働くようになりました。
今思えば、このときも誰かに認められることや
達成感が楽しかったのだと思います。
社員になったあとは、店長もさせて
頂きました。
バイトあがりではありましたが、
上司に恵まれたこともあり、
社会人として基礎の能力を
この時期に叩き込んで頂きました。
正直、新卒入社組に負けたくない
という気持ちもありました。
そんなある日、
リーマンショックがおきました。
転職をしました。
会社は、たちまち業績が悪くなりました。
それにより、事業縮小にあわせて
早期退職の募集が始まりました。
退職勧奨もありました。
私は、対象ではありませんでしたが、
私の部下が対象でした。
部下の望まない退職を見送るのは、
とても心苦しいことでした。
リストラは、ひとに限ったことでは
ありません。
業務内容も「今」必要でないものはすべて
切り捨てられます。
自分が積み上げてきたものを
捨てなくてはいけないのです。
このような状況が3年続き、このままでは
前向きに仕事に取り組めないと思いました。
そして、自分の気持が前向きなうちに次の道へ
進もうと退職を決めました。
もちろん、この先の仕事など一切決めずに
辞めてしまいました。
幸いなことに希望退職制度に多くは
ありませんが退職金と転職支援サポートを
受けることができました。
とりあえずの生活に困らなかったこともあり、
半年間何もせず暮らしました。(笑)
転職活動を開始して、地元に帰る機会があり、
久しぶりに親と話をする機会がありました。
上京してから8年になりますが、
その間に帰省したのは、わずかに3回でした。
そのうち、親と会話したのは2回です、
しかも会話の内容は、
父親「元気か?」
私「おぉ。。。」
若かったこともあり、
照れくささもありました。
上京する日も父親とは、顔を合さず
出てしまいました。
子供ができて、自分が親になってはじめて
親のありがたさに気づきました。
40歳になってのことなので
気づくのに随分と時間がかかりました。
そんな久しぶりの親との会話の中で、
あるスーパーの話が出てきました。
そのスーパーは、私が子供の頃からある
馴染みのあるスーパーです。
話の内容は、私が東京にいる間に
新業態を始めたとのことでした。
こんな地方のスーパーが
おもしろい事やっているなとおもいました。
少し気になり、キャリアカウンセラーにも
手伝ってもらい、このスーパーについて
調べてみました。
このスーパーは、地元では、誰でも知っている
スーパーですが、
それほど大きな規模の会社ではありません。
ところが調べてみるとこの会社は、
会社の規模と比べてとても先進的な
取り組みをしていることがわかりました。
内容は、ここでお伝えできないのが残念です。
これを知った私は、この会社で働いたら、
きっとどこか遠くに行る。
そんな気持ちになりました。
結果として採用して頂き働きはじめることと
なりました。
新しい職場
入社して最初の配属先は、工場でした。
店長経験もあった私は、てっきり、お店で働く
ものだとばかり思っていましたので
正直びっくりしました。
ふつうならここで、話が違うと
ひねくれてしまうか
辞めてしまうのでしょうが、
私は、違うことを考えました。
お店は、所属人数も多く、
仕事内容も画一的です。
それに比べて工場なら所属人数も少なく、
発展途上の事業なので、目立ちやすい。
早く出世するならこっちだと思いました。
どうして、そう考えられたと言いいますと
前の職場で最初に配属されたのが、
少人数のチームでした。
しかも担当のコーナーは、
バイトからは
不人気のコーナーでした。
なので、競争が少ないので、
通常、アルバイトリーダーになるのに
3年くらいかかるのですが、
私は、1年くらいでなれました。
私が、優秀なのではなく、
前のリーダーが別のチームに行き
私以外フリーターがいなかった
だけのことです。
この経験は、この先もとても
役にたちました。
ひとが嫌がることは、ふつうにしてても
評価される。
小さな組織は出世が早い。
会社の成長の波にのると自分の成長速度が
加速する。
そんな、考えをもてるようになりました。
実際、その後、工場長や物流センターの
立ち上げもさせて頂きました。
この経験が、物流や生産管理など経験と
知識を大きく広げてくれました。
その後、入社8年目にしてようやくお店に
異動しました。
やっとお店で働くことができて
とても嬉しかったことを覚えています。
働き始めると目の前にお客さんがいて、
どんどんと商品が売れていく状況にいると
眠っていたお店で働く楽しさが
蘇ってきました。
その後、1年ほど修行をさせて頂き、はれて、
店長をさせていただくことができました。
プライベートでは、
転職後の32歳で結婚して、
その後、男の子と女の子に恵まれました。
今、振り返ってみると
長くなりましたが、こんな経験を
していくうちに40代になりました。
そして今、コロナ過もあり、
今後の生き方についても
考えるようになりました。
振り返ってみると、
かなり、レールから外れた生き方を
してきましたが、
なんとか幸せに生きてこられました。
10年ごとに仕事や住む場所を、
生き方を変化させてきたようにも思えます。
どうしてそれが出来たのか考えてみました。
そのいづれの場所でも、私に気づきを
与えてくれるひとがいました。
そのひととの出会いが、私を今の場所へと
連れてきてくれたのだと思います。
いつしか私もそんな役割をしたいと
思うようになりました。
コメントを残す